※個人の感想です。

夢見がちなミドルエイジが、やって良かったこと、良くなりそうなことを、個人的な感想として書き連ねていくブログです。

マスクで予防しない。

もともとマスクのストックもほとんどないこともあるのですが、もう今年は病気にならない限り、マスクはしないと決めました。

  

そもそも、うがいだってまともにしないし、手だってこまめに洗いません。

それで、マスクなんかしたところで、いったい何の予防になるのやら。

 

何より、マスクさえしていれば安心、と思っているように見られるのが嫌。

 

テレビでさえ、

「予防するためのマスクはしないよりはよい」

と、暗に効果はあまり期待できないのに、と言っているのに、勝手に「した方がよい」「しないとダメ」と言っているように思い込んでしまっているのが、まあ恥ずかしい。

 

どんなにマスクをしたところで、ご飯を食べる時は外すし、マスクを買えなかった保菌者が、そのご飯の近くでくしゃみでもすれば、晴れてノーガードでウィルスが体内に取り込まれてしまうことになるのに。

感染したくないと思ってマスクを買い占めた結果、むしろ拡散を助長しリスクを高めているという皮肉。

もはや、滑稽というしかありません。

 

朝の通勤で信号待ちをするマスクの集団を見かける度、

「ああ、日本もだいぶやられてるな(まだ流行ってもいないけど)」

と思わざるを得ない今日この頃です。

 

今回、当然のようにマスクをご紹介するのですが、これは自分の予防用に、ではなく、風邪を引いたのにマスクを買えなかった人にあげるためのものです。

 誤解のなきよう。

 

※品質や効果を保証するわけではありませんので、ご留意ください。

 

日本人でいる。

ここ最近、海外で日本人が大活躍したり、外国人が日本に来たりして、日本人や日本の文化が称賛されることが多い気がします。

その度に、日本国籍を持つ私は誇らしい気持ちにはなるのですが、だからと言って、私自身が何をしたかというと、何もしてません。

大活躍してMVPに選ばれることは当然ないですし、定刻通りに電車を動かすわけでもありません。

試合後にスタジアムを掃除することすら、ありません。

 

私は日本国籍を持ちながらも、世界で称賛されている日本人とは違います。

誰も、私を称賛していません。

 

しかし、私は誇らしいのです。

同時に、称賛される日本人になりたいと思うのです。

少なくとも、日本人とはこうだろう、という期待は裏切らないようにはしたいのです。

いつ、どんな時にも。

 

今年は、東京オリンピック

今まで以上に、自分が日本人であることを意識する機会も多いことでしょう。

私も胸を張って、自分は日本人だ、と言えるようになりたいと思います。

 

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

 

※品質や効果を保証するわけではありませんので、ご留意ください。

買い占めない。

それは、ある年末の夜でした。

 

年末ぐらいは贅沢なお寿司でも買って盛り上がろうと、タイムセールが始まる閉店間際のスーパーに駆け込みました。

すると、まだお寿司は30%引き。

もうちょっと粘ろうと思って、あちこちウロウロして戻ってきてみたら、ほんの数分のうちに10人程度の人集りができていました。

慌ててのぞき込んでみると、まだ店員さんが半額シールを準備しているところで、取り囲む客たちは、それを固唾を飲んで見守っている、という状況でした。

 

良かった、お寿司は20皿ぐらいとまだまだあるし、これなら贅沢な年末を過ごせるぞ!

 

と思った矢先、半額シールが貼られ始めて、目の前のお寿司は、あっという間になくなってしまいました。

 

人集りの一番前に陣取っていた初老の夫婦が、10皿ぐらいをまとめて買い占めてしまったのです。

 

マジか!

二人で食べるなら、二皿で良いじゃないか!

二人でそれだけ食えるのか!

仮に大勢で食べるのであれば、大皿でも頼めよ!

それだけお金があるのなら!

 

何一つなくなったお寿司売り場で、ただ一人途方に暮れた、あの時の切なさは今でも忘れられません。

結局、いつも通りカップ麺を買って、トボトボ帰る道すがら、

 

こうして、戦争って起きるんだろうな

 

と思いつつ、細やかながら世界の平和を願った年末となったのです。

 

以来、私は買い占めないことにしました。

譲れるなら譲る。

買い占めて得られる豊かさよりも、心の豊かさを優先したい。

甘いのかもしれないですけど。

 

※ 品質や効果を保証するわけではありませんので、ご留意ください。

 

年末年始を休まない。

まあ、私は休んで良い仕事なので、休みますけどね。

 

交通インフラや医療関係など休めない仕事に従事する方は、当然休めませんが、微妙なのは休めるけど、休まない方が良い仕事。

 

コンビニやスーパーなどの小売業です。

 

特にコンビニなど、24時間365日、開いていることをウリにしているはずなので、いくら働き方改革が世間的に広まっているとはいえ、休んではダメだろうと思うのです。

人手不足だとか、働き過ぎだとか休みたくなる理由はいろいろあるでしょう。

しかし、そこは、無休をウリにしている以上、大金を積んででも死守しなければいけません。

それができないなら、やめた方が良いですよ。

 

確かに働き過ぎは良くない。

しかし、だからと言って、みんながみんな同じ時期に一斉に休む必要なんてあるのでしょうか?

休む方としても、休みたくもないのに一斉に休ませられるより、休みたい時にのんびり自由に休めた方が絶対に良いはずです。

 

問題なのは、何日休んだかではなくて、休みたい時に休めないこと、ですよ。

 

働き方改革、という言葉も浸透してきましたし、今度はぜひ推し進めていただきたいです。

 

いかに休むか、という休み方改革。

 

※ 品質や効果を保証するわけではありませんので、ご留意ください。

 

車に道を譲る。

歩行者に道を譲るのではなく。

 

運転免許を取ってみて初めて感じたのですが、車の運転は想像以上に上手くいかないものです。

右のペダルと左のペダルを踏み間違えただけで、人が死にます。

 

そう考えれば考えるほど、ますます慎重になるのですが、それが返って、迷いを生み出すのです。

ふとした瞬間に、あれ、右だっけ、左だっけ?と迷うのです。

 

私は幸いその瞬間に正しい選択ができてきたので良かったのですが、それもただ運が良かっただけだよなと思う時があるのです。

 

そんな奴に運転免許を持たせるなよ、と思う方もいらっしゃるかと思いますが、それは私に自覚があるだけで、自覚がないまま、俺は大丈夫、そんなヘマはしないと思い込んでいるだけの方も相当数いると思うのです。

 

さらに、車の運転にはいろんなルールが左に曲がる時は右から来る車だけ見ていれば良いけど、右に曲がる時は右から来る車と左から来る車を…と、まあ面倒臭い。

しかも、二輪車や自転車、歩行者はそんなのお構いなしに道に出てくるわけですから、気が休む暇がありません。

 

まあ、そもそも車の運転なんてそんなものだろう、と言うと元も子もないのですが、その辺どうですか、歩行者は。

 

前に進む時は前へ、止まる時は止まる。

楽じゃないですか。

 

だったら、お先にどうぞ。

こっちは後でゆっくり歩きますよ。

 

※ 品質や効果を保証するわけではありませんので、ご留意ください。

 

クリスマスを祝う。

クリスチャンでもないくせに。

 

…と揶揄する方も世の中には多いです。

実際、私もそうでした。

よく知りもしないくせに、何を浮かれてるんだ、と。

 

しかし、だからなんだと。

楽しむのに、理由とか由来とか知っておく必要があるのかと。

むしろ、クリスマスなんてと言う人たちは、クリスマスを楽しんでない自分を慰めてるだけなんじゃないかと思い始めたのです。

クリスマスを楽しんでいる人たちを見て、ひがんでいるのです。

これは、かっこ悪い。

 

若い頃は、変に浮かれたりすることもなく、毎日を淡々と過ごすのがかっこいいと思う節がありました。

ですが、その淡々と過ごす毎日が、楽しく過ごそうという努力をしない自堕落な毎日が、いかに虚しいものなのかは、年を追うごとに身に染みてきました。

 

楽しむ時は楽しむ、

楽しくなるように努力する。

 

それが大人の嗜みだと、最近は思うようになりました。

 

ということで、メリークリスマス!

 

※ 品質や効果を保証するわけでありませんので、ご留意ください。

 

 

エスカレーターは歩く。

敢えて、ですよ。

敢えてエスカレーターは立ち止まらずに歩きます。

立つ人ばかりで誰も歩いていない時は特に、です。

 

エスカレーターは歩いてはいけない、という意見もわかります。

 

そもそも歩く想定で作っていない、とか、ぶつかると危ないとか。

 

それならば歩く想定で作れば良いし、

そもそもぶつからないように歩く人は立つ人を避け、立つ人は歩く人のために道を空ければ良いのです。

 

それなのに、ニーズはあるはずなのに歩く想定のエスカレーターは出てこないし、

歩く人は立ち尽くす人に苛立ち、立つ人は歩く人の行く手を遮るのです。

 

歩くスピードは人それぞれ。

それぞれがそれぞれのスピードで行けば良いのです。

歩く人に立てとも言わず、立つ人に歩けとも言わない。

お互いに認め合い、尊重し合えば良いのです。

 

たかがエスカレーター。

されどエスカレーターには、世の中がもっと幸せになるためのヒントが隠されているような気がしてなりません。

 

通勤する人たちでごった返す駅のエスカレーターでは、片側だけに長い行列ができていることがしばしばあります。

確かにそういった光景を見ると、効率は良くないよな、とは思います。

しかし、そこには、歩きたい人たちのことを思いやる、立つ人たちの思いを垣間見ることができます。

私はその度に、美しい、と思うのです。

その行列が長ければ長いほど。

 

※ 品質や効果を保証するわけではありませんので、ご留意ください。